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波動のkiseki
路上ライブユニット・アツキヨと彼らを支えた男たち
8月24日に放送された日本テレビ「24時間テレビ」。そこで全国の視聴者の涙を誘った路上ライブユニットがいた。脱サラのアツシと聴覚障害の女性Kiyoのユニット「アツキヨ」。日本武道館で他の障害者とともに「翼をください」を歌い、彼らのホームページには、20万件のアクセスが寄せられる程の大きな反響を呼んだ。二人のこれまでに至る物語は、新聞や本でも多く取り上げられ、今、注目を集めている。しかし、二人を支えてきた関係者の声はこれまでどこにも語られていない。彼らは二人の姿をどんな思いで見つめているのだろうか。

『私は耳が聞こえませんが、今度隣で手話で歌を表現させて下さい』
こう書かれた一枚の紙切れがアツキヨの始まりだった。サラリーマンを辞め、ソロとして北千住の路上で歌っていたアツシ(28)。そこに突然現れ、無言でその手紙を渡してきたのがKiyo(26)だった。メロディが聴こえなくても音程が取れなくても、音楽が大好きだった彼女。映像を手話で表現する「サインポエム」との出会いによって、彼女は夢に向かって歩みだす。彼女の夢、それは「歌姫になること」。これなら私も音楽に関われる、そう思い立ってぴったりな歌のパートナーを探し歩いていた時、アツシの声がKiyoの耳に響いた。「この人なら一緒にやっていける」と直感して以来、ボーカル&ギターのアツシと、サインボーカル&ボーカルのKiyoというスタイルで、二人は活動することとなった。
8月22日付朝日新聞夕刊にそんな記事と写真が載った。タイトルは「両手の熱唱」。彼らに会ってみたいと思ったのは、Kiyoが聴覚障害だからというだけではなかった。その写真の二人が、あまりにもいい表情をしていたからだった。
ホームグラウンドは北千住
金曜夜8:30。北千住駅に降り立つと、やがて人集りが目に入る。汗をかきながら、よく通る真っ直ぐな声で歌うアツシ。時にしなやかに時に元気よくサインボーカルを操るKiyo。彼らは底抜けに明るかった。Kiyoは、母親の熱心な教育のおかげとあって、健聴者と見間違えるほどに元気に話す。そして二人とも、清々しく、一生懸命で、楽しくてしょうがないといった、自然に溢れる満面の笑顔。「そういえば、最近こんな風に笑ってなかったな」と、こちらまで笑みがこぼれる。そして、思わずクスリとしてしまうのは彼らの曲のせいでもある。
「♪ 土曜日 日曜日 寝てばかりいないで 土曜日 日曜日 どこかに連れてって 」 「♪ こ・こ・こだわり天国 こ・こ・こだわり天国 おいらのこだわりの国へようこそ」「♪ 栄養ドリンク 疲れた時はやっぱこれだね 栄養ドリンク 腰に手をあて一気飲み」
決して今どきのカッコいい歌という訳ではない。けれども、すぐに耳に馴染み、誰もが親しめて、たわいのないことのようで、どこか普遍的。そんなファミリー・ミュージックを彼らは歌っている。
だから、自然と彼らの周りには、幅広い世代の様々な人たちが集まる。特に最近は「あっ!テレビで見たー」と、普段路上ミュージシャンに足を止めたりしないであろう人たちも思わず立ち止まる。そして、彼らのすぐ近くを取り囲むのは、常連といわれる人たちだ。女子高生とOLと保育士という3人組は、アツシがソロの時からのファンだという。この場所が縁で全く異なる3人は仲良くなった。また、Kiyoと同じように聴覚に障害を持つ人たちや、その家族が多く集まっているのも特徴だ。足立区在住の女性は、小学生の息子と娘を連れて毎週聴きにやってくる。女の子の方が聴覚障害だ。彼女が「Kiyoちゃんのようになりたい」と言い、男の子の方は「自分にも何かできるかも」と言うのだという。この場所が家族の絆を深める時間になっている。そんな人たちが一緒になって皆、アツシのボーカルに合わせながら歌い、Kiyoの動きに合わせて踊る。そこには、男女も世代も、健聴者も障害者も、関係ない。
やがて、彼らのショーも最後の曲となる。ラストはいつも決まっている。「kiseki」。この曲は、アツシが初めてKiyoから彼女の夢を打ち明けられた日に、一気に書き上げた曲だ。2月21日に彼らにとって初のCDとして発売された。彼女が一人で歌うパートもある。
「♪きっとだれもが 奇跡を起こす力をもってるよ あきらめちゃダメさ
夢見る瞳 夢を追う姿 まぶしいくらい輝いているよ もうすぐおこる奇跡を信じて」
この曲になると、それまでの曲とは違ったオーラが漂う。人々は皆、二人にとってのこの曲への思いを感じながら、そして聴く人それぞれにとっての“kisekiモに思いをはせながら、引き込まれていく。奇跡を願う余裕すらない現代人にとって、まさに奇跡のような人生を歩み、今なお奇跡に挑戦しようとしている彼らの姿は、とても眩しい。脱サラ、聴覚障害という、本来ならば我々が励ます立場であろう彼らに、いつの間にか逆に励まされている。
終演後、彼らはCDに1枚1枚サインをして購入者一人一人と握手を交わし、スタッフと共に夜の街に消えていった。最後まで見守った人の群れは、ゆっくりと余韻を残しながら静かに散っていった。一人一人の胸に小さな灯りをともしながら。
関係者間に生まれた共感の輪
北千住のライブにも、最近ではしばしば取材が入る。しかし、活動当初は当然ながら知る人ぞ知る存在でしかなかった。いくら彼らが頑張っても、それに共感し、世の中に伝えていこうという切っ掛けを作ってくれる人がいなければ、今のアツキヨはなかっただろう。
そんな存在ともいえる人物がオリコン・エンタテインメントの岩澤永久さんだ。偶然彼らの路上ライブを見かけ、その魅力にすっかりはまってしまった岩澤さんは、オリコン社内に広めるだけでなく、以前から交流のあった元スポーツニッポンの石山裕さん、上智大新聞学科時代の同級生で共同通信記者の仲里三津治さんに彼らを取り上げて欲しいと持ちかけた。二人もまた同じく一目でアツキヨに共感し、彼らが記事にしたことで、アツキヨの存在は公に伝えられることとなる。その後、新聞各紙が追い討ちをかけるように彼らを取り上げ、そこに目を付けたテレビ局も彼らに注目し、彼等の評判は24時間テレビ出演までに発展したのだ。
そんなアツキヨの貢献者である岩澤さんは、彼らの魅力についてこう語る。「彼らを目にしたとき、運動会で初めて走った子供を見ているような気持ちがした。ただ走ることに一生懸命な子供のように、彼らには上手さを越えた一生懸命さ、本当に歌を伝えようとする気持ちがあった。また、コピーやカバーが氾濫する現在の音楽業界の中で、これだけは他の誰にもコピーできないオリジナルな世界だと感じた。誰も成し遂げた事のない“無”の状態から“有”を生み出そうとする力、聴いている人たちの世代の広さ、そこに注目した。」
石山さんもまた、「ハンデを持っていると聞いてどんなものだろうと思ったが、目にしてみて悲壮感が全く感じられなかった。肩に力が入っていない感じで、ストレスの多いこの時代に元気と癒しを与えてくれると感じた」と話す。
確かに、アツキヨの姿に人々が魅かれるのは、Kiyoが聴覚障害者だからというだけではない。例え、始めはそこに注目したとしても、それだけではない何かを彼らが宿していることに人々はやがて気付く。また、岩澤さんと石山さんは、「何度見ても飽きない」といって、今でも彼らの路上ライブに足を運ぶ。その目は業界人としての目ではない。純粋に一人の人間として、彼らに共感した一番のファンなのである。だからこそ、岩澤さんは信頼を置く古くからの友人である仲里さんや石山さんに話を持ちかけたのだろうし、そしてまた、二人もその共感を受け継いだのだろう。そんな自然発生的なメ共感の輪モともいうべきものが、彼らを動かしたのである。
胸をはれる仕事
そしてもう一人、岩澤さんが声を掛けた大学時代の同級生が、講談社の阿部薫さんだ。大平光代の『だからあなたも生き抜いて』を担当した人でもある彼ならば、きっとよい本を作ってくれるだろうと思い立っての依頼だった。阿部さんは、その依頼を引き受けた理由について「まず、曲が気に入った。家族に対する気持ちが込められた温かい歌の内容が自分の勤める児童局からの出版にふさわしかったし、そこに自分が好きだったゆず等のアコースティックな曲調が融合していたところに魅かれた。それとあとは岩澤との縁かな。」と語る。「この本によって人々に“前向きさ”を伝えたい」という阿部さん。この本『みんなのこえが聴こえる』は8月24日に発売され好調な売れ行きをみせている。
さらに、この本の巻末で、岩澤さん等と共に謝辞が述べられているレコード店が山野楽器である。彼らのCDは山野楽器でしか販売されていないのだ。9月14日、銀座本店前で彼らの店頭ライブが行われた。ライブ終了後、山野政彦代表取締役社長に話を聞いた。
「オリコンの小池社長から直々に“彼らを応援してもらえないか”と連絡を受けたのが始まりでした。ちょうど社長就任日であった4月1日にアツキヨと面会し、始めは正直やはりKiyoさんの障害への関心が先行していましたが、会ってみてすぐに、人としてとても好感を持てる人たちだと感じました。そして、何よりメ全ての人々に音楽を普及したいモという我々の企業理念にまさに合っていたんですよね。何しろ子供にも高齢者にも、耳の聴こえない人にも聴いてもらえる音楽ですから。だから、彼らをバックアップしていくことを決めました。本当に彼らを見ていると元気がでますよ。」そう熱く語る山野氏だけに、この日の銀座通りが想定していた歩行者天国ではなくなってしまったことを非常に悔やんでいた。その日、店頭前には人が溢れ、気に留めながらも通行の妨げにならないようにと通り過ぎていく人たちを多く見かけた。そして、道路を挟んだ向かいの三越前でも立ち止まって眺めている人たちがいた。これが、歩行者天国だったらと想像すると、確かにこの日のライブはもったいないとすら感じた。

とはいえ、アツキヨを今後も継続的に応援していくという山野氏は、この仕事を「胸をはれる仕事」と言い切る。そう、彼らの純粋な共感の気持ちは、一音楽ファンとしての気持ちを揺り動かしただけでなく、「伝えたい」というメディアに身を置く人間としての根底にある気持ちさえも呼び覚ますこととなった。そんな気持ちを出発点としているからこそ、彼らにとっての思い入れも強い。阿部さんも「純粋に“伝えたい”と思った人たちの縁だけで出来たことだから、思い入れは強いですよ」と語る。
それは岩澤さんの言葉に凝縮される。「彼らを見ていると音楽が波動でできているってことがよくわかるんだ。Kiyoはアツシやお客さんの歌声から生み出される波動を感じて歌っている。その証拠に音をただ聴いて歌う時よりも、みんなが歌っているときの方が上手い。考えてみれば、アツシの音楽が生み出す波動がKiyoの耳に響いてアツキヨが生まれて、今度は二人の放つ波動がこうやってファンの人たちに伝わり、そして共感した我々メディアの人間の波動がより多くの人に訴えていくノそんな風に全部波動で繋がっているんだよ。そんな感動の連鎖だけで成し遂げたものだから、メディアとしての達成感をすごく感じている」
「社長あってのアツキヨです」
ライブ終了後、そんな「波動」を共有した男たちが一同に会した。この時だけのことではない。彼らは通常の路上ライブの後にもこうして一緒に労をねぎらう。アツキヨと彼らの所属事務所オフィスYAMATOにとって、岩澤さんたちは初めから自分たちの活動に共感し支持してきてくれた貴重な存在。そうした人たちへの恩を決して忘れないというのが、この事務所のポリシーなのだ。だから、どんなに有名になろうとも他のCD店や出版社にまで手を広げようとはしない、というのが事務所社長大和氏の持論だ。
そんな大和社長はアツキヨをどのように見守ってきたのだろうか。大和社長は、広島のプロダクションを経てストリートミュージシャンのアコースティック専門プロダクションであるベルーフプロを兄と共に設立。路上ライブを見て回ってはスカウトする毎日の結果、約80組のアーティストが所属するまでに成長させた。そんな中に、当時ソロとして活動していたアツシがいた。彼がKiyoを連れてきたのは、ソロとしてCDを出してからわずか半年後のことだった。アツシはその時のことについて「一緒にストリートでやってみて、1人でやるより楽しいと感じた。迷いはあまりなかった。社長には初めから、相談するというより説得するという気持ちで話を持ちかけた」と話す。大和社長も、そうしたアツシの熱意と共に、あまりにも健聴者の女性と変わりのないKiyoのキャラクターに、自分の偏見が消えていくのを感じたという。そこで、二人のコンビ結成を認めた大和社長が彼らの活動に合わせて新たに設立した2人のためのプロダクションが現在の事務所なのである。
以来、事務所とアツキヨは二人三脚で歩んできた。社長とアツキヨの二人の間には親子のような師弟関係のような、そんな雰囲気がある。アツシは、社員の誰よりも謙虚なのではと思うような腰の低さで、「社長あってのアツキヨです」と絶大な信頼を置いている。Kiyoは、まるで大好きなお父さんと話をするかのように、楽しそうに何でも社長に話す。いつでも元気のいいお喋り好きなKiyoが話し続けるのを、皆が温かい目で見守っている。そこには縁という言葉でしか表現しようのない不思議な繋がりで結ばれた空気がある。

左からオリコン岩澤さん、講談社阿部さん、オフィスYAMATO大和社長
Kiyoが歌うその日まで
しかし、大和社長は決して現状に満足している訳ではない。「確かに今、彼らのやっていること、自分のやっていることに意義は感じている。でも、これで“いける”と思ったことは一度もない。今は偏見で驚いて注目を浴びているだけの状態。“いける”と思えるようになるのは、Kiyoがもっと歌が上手くなったとき。あくまで、普通のアーティストと同じ土壌で戦えることを目指している。」冷静な目で現在の状況を見つめながら、同時に彼らはメディアの取り上げ方よりもずっと上の、ものすごく大きな挑戦をしようとしているのだ。
その話を横で聞いていたKiyoが、突然泣き出した。天真爛漫な彼女も、内心はかなりのプレシャーを感じているに違いない。しかし、その涙は本気が故の涙だった。大和社長は、メジャーもインディーズも隔てなく、また障害者も健常者も関係なく、「どれだけ熱いものがあるか」で受け入れられる、そういう世の中への変革に挑戦しているのだという。そのために、商業的になりすぎない事と世の中に広く伝えていく事のバランスをいかにとっていくべきか、議論が激しく交わされた。いつしか、入り込めないほどの熱気にその場は包まれた。
確かにそれは、並大抵のことではない。例えば、今回の銀座のライブに初めてきたという聴覚障害者の水口敬子さんは、こう語る。「手話をあまり使わないところからも、障害者がわかるようにというよりも、健聴者と同じように歌いたいという気持ちを強く感じた。しかし、障害者の中にはコンプレックスから音楽が大嫌いな人もいる。また世の中には他にもサインボーカルがいる盲者のバンドなどもあるし、一アーティストとしてやっていくためには今後もかなり努力しないと、一過性に終わってしまうと思う」。そんな彼女自身も、メルマガでの発言と詩をまとめた冊子を自費出版して、聴覚障害者としての自分にしかできないことに挑戦している同志である。そんな同志が故の厳しい意見といえるだろう。
でも、誰かがやらなければ世の中は変わらない。歌詞とリズムしかわからないはずのKiyoが、これだけ音楽の力を信じている。音楽の力を、感動の力を、メディアの力を、もっと信じなければならない。山野社長はこう言っていた。「最近の少年犯罪とかを見ていると、全くの想像ですけど、彼らはあまり音楽を聴いていないんじゃないかなと思うんですよ。やっぱり音楽っていうのは聴くだけでやさしい気持ちになれる、一種の情操教育なわけで。メ愛は地球を救うモじゃないけど、ホントメ音楽も地球を救うモだと思いますよ。そして音楽業界に関わる人はね、商業的になりがちだけど、本来はやっぱり単純に音楽が好きなはずなんですよ。好きなんだから、もっと音楽がみんなのものになるように広げていかなきゃいけない。音楽は絶対必要なものなんだから。」
Kiyoも最後にはいつもの笑顔で「障害を持っているからということで注目されるのであれば、むしろそれをメウリモにしてやる!くらいの気持ちです。いつも自分たちの世界にひっぱりこんでやろうという気持ちで臨んでいる。」と元気よく答えてくれた。そして、アツシはこういう時決まってこう応える。「ハートですよ、ハート!」と。帰り際、相手が見えなくなるまで手を振り続ける彼らがいた。「彼らのああいうところがね、また応援したくなるところなんだよ」岩澤さんが私の横で一言そう呟いた。